今月のスケジュール

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ミズマチユミコの占いサイト

選択するのも、行動するのも。

2006年04月19日 00:00

先日、まついなつきさんの占星術の
中級クラスの講習に参加してみた。
ホントは初級からやってみたかったけど、
彼女の初級のコースは土曜日で、
スタジオとかぶっちゃって、とても無理。
これでちんぷんかんぷんだったら、
考え直そうかなという感じで行ってみたけど
なんとか話の流れにはついていけたので
これでよかったかな。

平日の真っ昼間、20席がほぼ満席。
年代もほぼ同じくらいかなってところ。

参加者がデータと質問を提供して、読んでいくのは
以前、私が教わった先生のところとやりかたは同じ。
まあ、それしかないよね。
こちらは商売にしていないので、読み方がイマイチ鍛えられず
こういう講習を利用するしかないワケです。
よくメール鑑定ってあるけど、あれは占者が一歩外すと
全部踏み外すんじゃないだろうか…。
占者の一方的な自己満足じゃないんだろうか…。
クライアントとのやり取りがあって初めて、
鑑定が生きてくる気がするのよねー。

だって、生活に活かせないと、占星術は意味がない気がするから。
研究者にとっては違うのだろうけど、私にとっては「生活アイテム」。
メール鑑定は気軽に始められそうだけど、
あれは上級者向けかな。


さて、この題材となってくれた人の講習を聞いていて思ったのは
なかなか自分の持つ「図」に逆らえないんだなぁということ。
持ってる図が安定してればしてるほど、安穏と過ごしがちというか…
このテーマとなってくれてる人を見下しているわけではなくて
例えばこの人は、占星術をやっていてわかっていても
打ち破れないものをもっているわけなの。
まついなつきさんは、3、4回は
「でも今はあえて逆を行ってみたら?」とか
「でも今は普段自分がとらない行動をあえてとってみよう」とか
言ったけど、そのたびに「でも私はこういう部分が…」
という答えが返ってきてしまう。

私もこの人と同年代で、自分のチャートに
重ねみるような部分もあった。
そう言いたいよね、と、単純に同調もした。

しかし、「今は自分の力では起こせない変化を
起こせる時である」という読み方が出て、
やれることは、こんなことあんなこと…と並べてみても、
行動するのは本人だし、どの方向を選択するのかも
やっぱり本人次第だし、
いくら占って、良い時期が来たとしても
そこを生かすも殺すも、本人次第であって
それは占いのせいではない。

当たり前なんだけど、そこをわからず
「チャンスって言われた時期を過ぎたけど何も起きない」
って、何度も占い師を訪ねる人がいるんだろうなぁ。
まついさんは、そういう人は、追い返しちゃうんだって(笑)
私って冷たいでしょ? なんておっしゃってたけど
でもそのくらいじゃないと、やってられないよね。
その人の人生は占い師が決めるものではないし
かと言って、いちいちうだうだ迷ってるのに
つきあってられないだろうし…

と、いうわけで、私も冷たいに決定。
そんなんにいちいちつきあってらんない(笑)

しかし、自分がクライアントだったら、
自分を打ち破るような行動を起こせるのかというと…
難しいだろうなぁ。


ところで、この方は太陽水がめ座さんだったんだけど…
仕事観の話をしていた時に
「自分だけ稼ぐのは申し訳ない」
って言ったの。
まついさんはえらい受けてたし、生徒さんの中でおうし座さんがいて
「自分にはわからない感覚だ」っておっしゃってましたが
もちろん、私にもわかりませんでした~。

だってその言葉は、「稼げる」こと前提じゃん?(笑)
「稼いでしまって、ごめんなさい」じゃん?

おうし座は人を出し抜いてまで稼ぎたいとは思わないけど
自分の足下が固める程度には稼ぎたいので
稼げないかも、稼いでも足下を固めるには不十分かも
っていう不安といつも闘ってるわけですよ。(大げさ?)

なので、水がめ座のプライド見たり~~~~って感じだったね。
いや、いいんだよ、人生のテーマは人それぞれだからね。
なんとなく見えづらかった「水がめ」ワールドが
きちんと認識できてよかったです。
いろんな人がいるよねぇ。
これだから占星術はやめられないね。
ホント、今日は行って良かった。
来月も行けるといいなぁ。


*おまけ*
「その人はお金(財産)をどこに費やすか」という
細かい読み方のところで、ふと自分を当てはめてみたら、
思いっきり「不動産・実家・地元」に費やしてしまう図だった。
ああ~、コイツが私にマンションを買わせたか…
(ってやっぱり星のせいかい(笑)) web拍手 by FC2

余った命

2006年04月08日 00:00

寝ようと思ったけど、さっき3人で話してた時に出た話題を
忘れないうちにちょびっと。

3日に絵門ゆう子さんが亡くなった。
http://z.la/uj9em

もとNHKのアナウンサーで、のちに民放へ移り、女優もしたことが
あるそうだけど、私は全く知らなくて
朝日新聞に連載されているコラムで存在を知った。
その名も「がんとゆっくり日記」。

歯切れよい文章と、ポジティブな怒りに満ちた、
でもユーモアのある内容で、病気に対する取り組み方や
病気を持つ人への対し方など、いろいろ考えさせられる内容だった。

読み始めた最初の頃、「余命」という言葉について書いていた。

「余命」余った命とは、いったいなんだ。失礼じゃないかと。
そんなことは誰も誰かに対して使っていい言葉ではないと。

他にも、難病と懸命に闘っている子供の夢が「お嫁さん」と
言ったことに対して、医師が「そんなことは無理」と言ったとか、
そして私もつい無意識に使っているが、「病気と闘う」っていうのは
常に精一杯やっている病人を、さらに追い込む言葉なのではないのか、とか。

病人でも憐れむ対象ではないのよね。
はれ物を扱うような接し方も不要だし、
生々しい同情も人によっては負担だろうし
なんというか、病気も個性のひとつと考えれば、
余った命なんて言葉は出ないでしょ。

まあ、ないほうがいい個性だけどね。
でもカンペキに健康な人なんていない。
個性と受け入れて、共存しつつ、その中で出来ることを
やっていくのも選択のひとつだ。


4月6日付けの朝刊には地方欄(東京版)に特集記事が出ていた。
ここにも私の知らなかった、でも共感できる言葉が並んでいた。
「死を受け入れよ、じゃなくて、きちんと生に執着せよって言って欲しい」
「余命・告知・壮絶みたいな怖い言葉はやめるべき」
「元気になったガン患者のドラマはなぜないのか」


最後の記事は3月30日だった。
この日の記事は、いつものユーモアある話というよりかは
「これからの数回は、現実を見つめるべく、病状を記載しようと思う」
と言ったような事務的な内容で、それが却って彼女のしんどさを
表してるような気がしていた。

実はその数回前から、かなりつらそうな内容が続いていて
少し心配だった。
病院の最寄りの地下鉄駅に地上まで出るエレベーターや
エスカレータがなく、ひとつ手前の駅で降りて地上に出て、
一駅分をタクシーに乗るだとか
有人改札で精算をしてもらえず、「すぐそこ」と言われた
精算機が、しんどい自分にはとても遠かったとか。

そんな彼女だけど「このイベントまでは」とか「この講演会までは」と
つねに身近なところに目標を設定して、最後まで走り抜いた。

振り返って自分。
あ~時間がたっぷりあるような気がして、
適当な人生歩んでるなぁと少々自己嫌悪。
せっかちには生きてるけど、充実してるかって言われるとねぇ…

まあ私のようなタイプは、もっともっとと常に足りない感じが
しているのかもしれないけど。

絵門さん楽しい記事をありがとう。
ご冥福を…いや、きっと向こうの世界でも楽しく「意見」してるかもね。

絵門ゆう子「ゆっくり生きよう」
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